沖の干潟遥なれども、磯より潮の満つるがごとし。

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(原 文)
 死期はついでを待たず・・・沖の干潟遥なれども、磯より潮の満つるがごとし。
                            ==徒然草155段==
(解 説)
 「死期(しご=いつ死ぬか)はついで(順序)を待たず」とは、「人間はいつ死ぬか分からない」ということ。
 遠浅の海では、潮が引くと沖の方まで、ずっと干潟が続きます。沖のほうから順番に潮が上がって来るだろうと思って、遊び呆けていると、いつの間にか足元が海水に浸っている。徒然草155段の最後の部分です。155段は全体として「生きていく上でタイミングはとても大事。でも、何がなんでもやろうと決心したことは直ぐやるべきだ。なぜなら、人間はいつ死ぬか分からないから」と私は解釈しています。
 
(体験談)
 小学生の頃、いとこ数人で遠浅の海に遊びに行きました。私はカニ取りに夢中になり、バケツにたくさんのカニを収穫しました。時が経つのも忘れたようです。潮が満ちて来るのに気が付かず、いつの間にか膝下まで海水が・・・。でも、沖の方に目をやると、まだ遠浅の海は続いています。「なんだ、まだ大丈夫じゃないか」そう思いましたが次の瞬間、潮が強く引き、足元を掬われ、転倒しました。体はずぶ濡れで、バケツにいたカニが逃げていくのが見えました。底知れぬ恐怖を感じました。辺りを見回すと、私ひとり。無音の空間というものを感じました。そして先程とは違う恐怖を感じました。
 いとこ達は砂浜で焚き火を囲み、おにぎりを食べていました。「転んだら、やっと来たね。何回呼んでも来ないんだから。海は怖いんだよ」と従姉。「ほれ」と従兄がおにぎりを差し出してくれました。「海でも山でも団体行動」と大人ぶった口調で私を嗜めているようでした。
 不思議でした。呼ばれたのに気づかないなんて。自分の中ではほんのひと時なのに、実際には結構な時間が経っていたなんて。沖の干潟は続いているのに、引き潮に足を掬われたなんて。一瞬だけ、違う世界に居たのではと思えました。
 大人になって、「沖の干潟遥なれども、磯より潮の満つるがごとし」というフレーズに出会った時の感動と蘇る恐怖。遠浅の海では、想定外のことはいつでも起こりうる(呼ばれても聞こえない)、私たちが思っているほど、物事は順序通りではない(沖の干潟と足元の引き潮)などを教訓として学んだ気がします。

インディアンサマーの午後