私たちは3つの時間を生きている。

 作家の五木寛之さんが、とあるエッセイで、「ガラクタに包まれて暮らしている」と言っていました。「できるだけモノを捨てないで生きていこうと思っている」とも。 断捨離にかなりの時間とエネルギーを費やしている私にはちょっと気になるエッセイでした。

 その理由は、「回想には依代(ヨリシロ)が必要」だからということです。「人は3つの時間を生きている。過去・現在・未来の3つの時間。回想と、思想、空想と言い換えることができる」ーーさすが、浄土真宗を本格的に研究した作家だけあって、人間と時間との関係性についての考察に深みがあります。五木さんが言う「依代」とは「言葉、物など、眠っていた記憶が蘇ってくるキッカケを与えるモノ」です。神道でいう「心霊が乗り移る物」違った意味です。

 断捨離に邁進する私にはこの言葉が刺さりました。書斎にあるノートや書類を大量に捨てたことがあります。そのせいなのか、昔の出来事の一部、例えば固有名詞やシチュエーションをどうしても思い出せないことがあります。依代がないから… かもしれませんね。より良く生きるために断捨離をしているのに、それが過去を生きる幅を狭めていたとは・・・なんたるジレンマでしょうか。

 でも、実家にある父母の遺品についは、既に回想する本人がいないので、依代は必要ないと結論付けました。実家の居間を片付けて、真ん中に鎮座していると「迷惑かけるね。でもよくがんばったね」と言う母の声が聞こえてくるようでした。母は私たちに、経済的あるいは精神的に負担を掛けるのを避けたいと考えていました。実家の居間も「ヨリシロ」なんですね。

 閑話休題。人は3つの時間を生きているーーーこの考え方、大好きです。物理的には、人間は現在しか生きられません。しかし、私たちの意識は頭の中では悠久の時を漂います。希望や欲望によって私たちは未来を生きます。今何を思って生きているかが希望や欲望を生み出します。過去の希望や欲望が今を生きる私たちの思考を作ります。そして人間という集合体にも同じことが言える。

 だんだん混乱してきました。インディアンサマーの午後にゆっくり考えます。