30年ほど通っているスポーツジムのボイラーが故障し、プールに行けない日が続きました。今では水泳は日常生活の一部。その一部が欠落すると、肩こりはする、ビールは美味くない、睡眠が浅い、など悪い事づくめでした。
程なく系列のスポーツジムのプールを無料で使えることとなり、三沢市から20分ほどの十和田市のプールに行きました。初老の男性がノンストップで約1時間、2000メートルほど泳いでいました。感動しました。正直なところ、あまりフォームが綺麗とは言えません。多分自己流。年齢も私より上な筈。私はいくら努力しても2000メートルは無理だと感じています。
そこのスポーツジムには入浴施設があり、5〜6ほど入れる湯船がありました。たまたま、先ほどの初老の男性と湯船で一緒になりました。会話が弾み、長距離水泳に関する様々なノウハウを教わりました。自己流とはいえ理論もすごい。スイミングスクールのレッスンを30年も受けている私には、「目から鱗」の体験でした。極め付けのアドバイスが「休まないこと」。家族のイベントも友人との交流もスイム練習のためには捨て去るとか・・・。まさに鉄人です。
この体験談をFacebookに投稿したところ、「まさに人間万事塞翁が馬ですね」とのコメントを頂きました。この故事成語、「人間の未来はわからない」とか「不幸が幸に、幸が不幸にいつ転ずるか判らない」という意味ですが、コメントを頂いて瞬時に思い出したのは、人間を「にんげん」と読むか『じんかん」と読むかの論争。
高校時代、「じんかん」と教わりました。漢文の教師曰く「ストーリーをじっくり読めば、human societyという意味だ」、「human beingという意味ではない」。大学1年の春、雀卓を囲みながらのこと。私の捨て牌にロンの声。しかしよく見たらフリテン。(麻雀を知らない人にはすいません)「じんかんばんじ・・・」と私が言った途端、「バカだねー。じんかんーーなんて聞いたことがない」、と笑われました。でも確信があって「人間社会という意味の方がしっくりする」と反論。対して、「古代中国人が英語を知って居るはずないっちゃ」。結局は3対1で「にんげん」に軍配があがりました。
その後もこのことが気になり、著名人や学識経験者が「人間万事・・・」を引用するたびに、どう発音するか聞き入りました。私の感覚では約1割の方が「じんかん」を支持しています。
以上の二つのエピソードから私が気付いたのは、本流・主流よりも重みのある亜流・自己流が世の中にはある、という事実。余談ですが、就職してから同期と居酒屋に行き、偶然「どっちの読みが正しいか」が話題になりました。私が自論を展開すると拍手喝采。「お前博学だな」、「その通りだ」などなど。「今日は久しぶりに深みのある話を聞いた。飲め・・・好きなだけ。なあみんな、今日は~~君に大いにご馳走しよう」。「割り勘なのに、ご馳走はないだろう」と思いながらも嬉しかった思い出があります。